ナンバーワンにならなくても良い

何事にも頑張れる能力って大きな価値があるのでしょうか?そもそも人間の脳というのは全てのことに全力を出せるようなっていないんですよ。

注意を払うって、本当に言い得て妙ですよ。払うってことはコストと同じ。費やせる総量に上限があって、あとはどうやって使うかという分配の問題。人間は歩いている時にでも、お風呂に入っている時にでも常に脳は思考をする。これは推測ですがイチローはご飯を食べている時も常にどうすれば野球が上手くなるかを考えていて、松本人志はお笑いのことを考えているんじゃないでしょうか?特定の分野で成功を収める条件としては、この注意の分配に偏りがあること(僕はぶっ飛んだと呼びます)と思うんです。本人たちは意識的な無意識的かわかりませんが。

あんまり勉強している感じがなくても成績が高い進学校の生徒はこの印象が強いですね。学校で習ったものを机に座ったお勉強以外でも常に考えることを辞めない。帰り道歩きながら「今日の数学の授業で、あの定理ってこうやって証明していたけど、こうやり方でも出来るんじゃね」とか思考をし続けるから、理解が定着する。

勿論、満遍なくこなせる能力も1つの価値にはなりますが、みんながみんな目指すものではないと思うんですよね。日本学校のシステム的には何事にも、何かに特筆した人間よりオールラウンダーにこなせる人間が評価されるシステムなので、本来であればぶっ飛んだ逸材なのに、本人に無自覚のまま牙を抜かれてしまうことがあるんじゃないでしょうか?

戦後から30年ぐらい前まではモノ作りの時代では、上からきた指示を的確にこなすことが求められていたのでオールラウンダーな人材の価値が高かったのですが、今は変化が大きくて正しいことがどんどん変わる。上からの指示をこなすだけの人間の価値が相対的に落ちてきた。また情報技術の発展で需要がより細かくなった。極端な例かもですけど、ひたすら歌が好きな女子高生がyoutubeで大ヒットして、某人気アニメの映画の主題歌を歌うことだってあるわけです。社会で求められるものは変わるのに、教育の内容にアップグレードはほとんどないんですよね。

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