学校側は「塾は入試のことばかり考えている」、塾は「学校の授業は効率が悪い」という学校教員と学習塾の二項対立を感じることはあります。両方の経験のある僕なりの解答を話していきます。
そもそも学校と塾というのは目的が違います。学校というのは学校に通う子ども達が「幸せになるための手段を身につける」場所だと思っています。英語とか数学とか教科の知識ではなく、生きる力が身につく教育をする必要があります。でもこれは困難で、評価が本当に難しいんですよ。塾だったら偏差値上がった、志望校受かった、わかりやすいんですが、学校では何をもって子ども達が将来幸せになるための教育が出来たかどうかなんて中々わからないんですよ。僕個人の価値観からすると、「①しっかりとルールに従うこと、②どんな退屈なことにも一生懸命取り組んでいい大学に入ること、③誰とでも仲良くすること」これが重視されすぎてるように感じて、子どもの幸せという目的を果たすための進路指導だったり生徒指導だったりという手段であるのに、手段と目的が入れ替わっているような感覚があるんです。でも僕の価値観でしかありません。3年間やっていてても自分の教育は絶対的に正しかったなんて断言はできることは一度もありません。自分はこれをして、これのおかげで彼はこう変わった、自分はいい教育をしたという自己満をするしかないですね。だから「学校の授業は効率が悪い」このような批判には「いやいや学校は受験をゴールにしていないから」というのが答えです。これは多くの教員の共通認識だと思います。
とはいえね。授業が酷いのは塾よりも圧倒的に学校の方が多いとは思うんですよね。塾で授業が酷いとクレームが来る、退塾する人もでます。そうならないように講師の授業を評価したり研修をしたり、改善が見られなければ担当を外す。こういう積み重ねで集団塾の授業は担保があるんです。その一方で学校では授業がわかりづらいってクレームが入ったところで、授業を評価する機会もあまりないですし、担当を外すのも基本的に難しいです。生徒側もいくら分かりづらくても学校辞めるという選択は選べないでしょう。教科書に書いてあることを読みながら板書していくだけの授業、そういった授業も一回は受けたことありませんか?学校の方が楽をしようと思えば楽をできます。そういう話を生徒経由で聞いて、「学校の授業は酷い」と溢す気持ちはまあ分かります。
逆に学校の「塾なんて子ども達の幸せを考えていない。」こっちも違和感を覚えますね。
僕が学校を辞めて塾を開業するとなった時には、同じ職場の人は関係も良好だったので言われることはなかったのですが、別の大人からは「学校を辞めて塾?あんなのは子ども達の未来を考えていないよ」って言われたことは何回かあります。「だからなに」って話なんですよ。ラーメン食べたいという欲に、美味しいラーメンの提供を対価に金銭を得る、髪を切りたいという欲に髪を切ってその対価に金銭を得る、それと同じように成績を伸ばして志望校に受かるための学習指導をする。人の欲を満たす対価として金銭を受け取る、それが資本主義の本質ってものじゃないんですかね。塾講師としての僕は成績を伸ばして、生徒が希望する大学に受からせることこれだけにしか責任を持ちません。そりゃ僕なりには「受験を通して、高校生の時に頑張ったことがあるという経験は活かしてほしい」という願いはもちろんありますよ。ただ極端な話をすれば、生徒が成績を伸ばした。試験合格しました。それはもちろん嬉しい。感動ものです。ただこの先はどうするんですかって話は知ったことじゃありませんよ。逆に「成績は全く伸びず、志望校もダメだったけど前よりは勉強に前向きになれたから良かった。」これは塾講師としては無責任に感じます。
ちなみにどちらかというと僕は好きなのは学校で、得意なのは塾ですね。楽しさはどっちも別の楽しさはあります。