僕は実はプライベートではかなりケチです。ケチというのは同じパフォーマンスであれば、出来るだけ安いほうがいいという考えです。ユニクロで服を買い、お昼は自分で作り、燃費のいい原付に乗り、お金をかけることがあるとすれば旅行とジンギスカンをたまに堪能するぐらいです。
中高生を見ていると、みんなが欲しがるからこれがほしい。みんなが羨むからこれをしたい。というのを感じます。自分に子どもがいるとして同じセリフを言ったとしたら「みんなが欲しがるじゃねえ、自分が心の底から必要としているのか?」と小一時間ぐらい詰めたいぐらいですね。
ちょっと意識の高い生徒でしたら、いい大学に行って、いい就職先について、お金をいっぱい稼ぎたいと言ったりします。それはそれで素晴らしい見識です。しかし、お金はよりよく生きるための手段にはなり得るかもしれませんが、目的にはならないと思っています。有名な話ではお金と幸せの相関について、年収800万ぐらいまでは収入が増えるほど幸せの量が増えるのですが、それ以上に行っても幸せの量は大して変わらなくなるという統計的な事実です(限界効用逓減の法則)。お金がないこと自体が不幸なのではなく、お金があれば幸せになれるんだろうなぁという願望が人を不幸にしてしまうと思っています。
だからお金を稼ぐ目的以上に、いい大学行って何をしたいの?いい就職先について何をしたいの?お金をいっぱい稼いで、どういう状態だったら幸せと言えるの?とは深められればいいねとは思います。
たかがお金です。
でも、お金があれば自由が買える。
例えばビッグモーター。かなり悪質な営業で話題になりましたね。
僕は忍耐力が皆無なので、あんな厳しいノルマがある営業なんて就いたら、1日で辞めます。
詐欺まがいな商売も問題になりました。しかし問題が顕在化したのは発生からだいぶ時間がかかってからです。関係者が認知していなかったことはあり得ません。恐らく関係者が自分の生活のために我慢する。という選択を取ったからです。「なんで内部告発しなかったんだ」との声もありましたが、彼らを責めることはできませんよね。自分の職場で同じ状態だったらその選択を取れるのって。
でも僕はこれが「自分が働く会社に依存し、自由がない状態である。」と考え、非常にストレスが溜まります。お金がないから、嫌な仕事でもやらなければいけない、なんて思っていたらあっという間におじいさんです。サラリーマンはよほど過失のある問題を起こさなれければ、クビになりません。成果ではなく労働時間に対して給料が支払われるから安定はするかもしれません。
されどお金です。
お金があるからこそ、人に依存せずに生きていけるわけです。no money,no freedom
稼ぐことももちろん大事ですが、稼ぎを増やすことは簡単ではありません。特に年功序列の会社勤めでは時間がかかってしまいます。気軽に変えられるのは使いかたです。先ほどの話に戻りますが、自由の代償として一生懸命稼いだってそのストレスで不必要なものばかり買って仕舞えば本末転倒です。無駄遣いをなくすためには、数学を勉強すべきです。?と思うかもしれませんが、
数学できるやつは無題遣いしません。僕の偏見です。リボ払いなんて最低限数字に強ければ、誰も使いません。
経営者は成果を残せねば、ジンギスカンを食べることもできなくなります。実際に僕は今年で二年目となりました。本当に生徒と保護者に恵まれ、1年目よりも遥かに人数も増えて、みなさまのおかげで僕は生活することができます。いまだから言える話ですが、1年目は大変キツかったです。が、そのひもじさももまた僕にとっては心地良かったと思っています。誰にも指図されない自由と生きるために学びたい知識を実感できるからです。教員時代はここまでは誠実ではありませんでしたからね。
起業しろ!なんて気軽に勧めているわけではないのですが、「いい大学→いい就職先→幸せ」という考えはちょっと古いような気がしています。もっと色んな経験をして、もっと世界を知って、自分を知って、goすべきです。塾講師が「勉強なんかよりも」なんて思うのはアレかもしれませんが、学生時代に部活やバイト、恋愛など色んなイベントを経験することが大事だと思います。大学に入学した時には教員の「きょ」の字もなかったのに、学校教員→塾経営と志したのは大学時代の塾のバイトの仕事がきっかけですからね。