もったいない

よく、水を流しっぱなしにすると「もったいない」と言われます。食べ物を残すのも、電気をつけっぱなしにするのも、「もったいない」。

僕は、この国に「もったいない」という文化が根付いていること自体は、とてもいいことだと思っています。

しかし、その一方で、少し不思議に思うことがあります。

例えば、朝寝ているときにインターホンが鳴ったとします。

「起きるの面倒だな。どうせ再配達してもらえばいいか。」

正直、僕もその気持ちは大いにわかります。でも、その再配達は誰かがもう一度来るということです。

僕たちは物を無駄にすることには敏感ですが、人の時間や労力を無駄にすることには、案外鈍感なのではないでしょうか。恐らく再配達に100円かかるのだとしたら慌てて起きますよね?

このことを考えるようになったのは、学校で働いていた頃の経験が大きいです。学校では、「子どものために」と新しい取り組みが次々と始まります。

ICT、探究学習、キャリア教育、情報モラル、アンケート、研修、会議……。

どれも、それだけを見れば意味のあるものです。でも、新しいことを始める一方で、「何をやめるか」はほとんど議論されません。

その結果、仕事は増え続け、先生たちは常に時間に追われるようになります。

そして、最初に失われるのが「余白」です。

授業を振り返る時間。

生徒一人ひとりについて考える時間。

教材を見直し、「もっといい教え方はないか」と試行錯誤する時間。そういう、教育の質を支える時間が少しずつ削られていきます。

塾を始めてから、僕は一つのことに気づきました。

塾には僕しかいませんから、すべての仕事に全力を注ぐことはできません。

新しいことを一つ始めれば、その分だけ何かを諦めなければならない。だから僕は、「何をやるか」よりも、「何をやらないか」を先に決めるようになりました。

やらないことを決めると、不思議なくらい時間が生まれます。

その時間に、スマホも持たず相模原公園を歩き、展望台に登って街を眺める。

「あんなことをしてみたい。」

「塾をこんな形にしたらもっと良くなるんじゃないか。」

「こんな講演ができたら面白そうだ。」

そんなぼんやりとした考えは、何かに追われている時間ではなく、何もしていない時間に浮かんできます。現代は、空いた時間を何かで埋めることが当たり前になりました。でも、本当に価値を生むのは、その余白なのかもしれません。

僕たちは「もったいない」と聞くと、物やお金を思い浮かべます。でも、一番もったいないのは、人の時間や労力、そして考える余白を失ってしまうことではないでしょうか。物はまた作ることができます。お金もまた稼ぐことができます。

でも、一度失った時間は戻ってきません。

だから僕は、何かを増やすことよりも、何を減らすかを考えたい。

「もったいない」という言葉を、物だけではなく、人の時間にも向けられる社会であってほしいと願っています。

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