「学歴主義と全体主義」

僕は大学に入るまえには研究職か数理系の資格に進もうと思っていました。
しかし在学中にバイトで子ども達と接していくなかで教員になろうと思い、大学を卒業してから通信制の学校に通い教員免許を取りました。ところが3年で辞めました。

僕は子どもの幸せに結びつかなければ教育なんて無意味だと思っています。幸せとは自分の才能を還元することが。学校とは自分の才能を見つけること、自分の才能を活かす知能をつけることだと思っています。↓


しかし学校というシステム上で発生する束縛によって、自分の信念と相反することが分かりました。主に嫌なのが「全体主義と学歴主義」の押し付けです。

全体主義
簡単に言えば「個人の益より社会の益」という考えです。戦前の学校ではお国のために戦えという思想を植え付けていましたが、対象が変わっただけで概念は変わっていないと思います。

僕の友達はエンジニアと教員が多いのです。身を削りながら、働いている人ばかりです。僕は意識が低いせいか「そこまで組織に尽くす必要あるの?」とは思っていても他人には迷惑かけられないから…と。中には仕事を続けられなくなってしまった人も少なくありません
エスカレーターに左一列に並ぶ姿を見て、日本人はルールを守るなんて言われますが、ルールで言ったらエスカレーターなんて歩かないのが正解です。怖いのは他人の目です。他人と違う行動を取ることを過剰に恐れすぎている。その根本は学校にあるんじゃないでしょうか。小学校の時に卒業式の練習とか言って、何十日も使って、繰り返し繰り返し、規範となる行動を身につけられませんでした?中高では、風紀を乱すとか言って個人の自由であるはずの領域まで侵されませんでした?僕はその一端を担うのは嫌でした。ルールとは主体者が過ごしやすく変えるもの、思考停止で守るものではありません。ブラック企業はそこに働く人がいるから無くなりません。僕は教える子ども達には、もっと自分のために生きて欲しいと願っています。

学歴主義
勉強は本来楽しいものだと思っていますが、子どもたちにとって勉強がつまらないと思うのは当然の話です。僕だって学生時代に塾講師として還元するまでは本当に嫌で仕方ありませんでした。知識偏向でどこに役に立つのかもわからないものを学歴!、内申!とか言って無理に勉強させたらつまらないと感じるのは当然です。

「どんな進路に進みたいの?」→「MARCHは行きたいな」高校生のこの答えを聞くたびに、先に生まれて社会にいる人間を代表して申し訳ない気持ちになります。
「何を学びたいか<<どこで学びたいか」という不等式が頭で成立しています。

会社はなぜ学歴を高い人が優秀と思っているのでしょうか?学歴が大事、大事って言われているなかで結果を残しているなら業務も結果を残せるでしょうという考えです。受験勉強で知識をたくさん蓄えているから活躍できるという話ではありません。


とは言え数学だけはガチで役に立ちます。数学は幸せに生きるために知能を培うことができるからです。受験のためではなく、数学を通して、常識に捉われる事のなく、自由に、楽しく、幸せに生きるための手段を身につけてほしいです。


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