大学受験もそろそろ終わりが近づいてきました。今日はちょっとふと思った難しいことを書き殴っていきます。
現場の大学の受験勉強って、そんなに神聖なものなのか?という話です。
難関大学の数学が解ける。難しい国語の問題が解ける。もちろんそれはすごい能力だと思います。でも、それが人生の能力の中心かと言われると、僕はちょっと違う気がしています。僕はカリキュラム内で行われるあくまでも選抜のための競技に過ぎないと思っています。教育というよりはeスポーツのような感覚です。
そして今の日本では大学入試がまるで「学力日本一決定戦」みたいにやたら神聖化されているような気がします。だから
指定校はずるい
総合型は不公平
みたいな話になる。でも大学入試って本来そういうものじゃないと思うんですよね。大学が「こういう学生が欲しい」と思って選ぶ仕組みであって、全国学力ランキングを決める大会ではないはずです。
僕自身は一般受験でした。ただ、正直に言うと指定校推薦なんて絶対に無理でした。高校の一年生の成績は279人中279位。定期テストをコツコツやるタイプでもないし、全科目をバランスよくやるのも苦手でした。だからもし当時「指定校がずるい」とか言っていたら、それはただの負け惜しみだったと思います。もちろん、制度の外でこっそり入学させるようなことがあれば、それはずるいと思います。でも制度として存在している以上、その制度を使うのは別にずるいことではない。どんな手を使ってでも入る。それが受験というゲームだと思っています。
また「指定校だと大学に入ったあと苦労する」という反論もあると思います。でもそれって、結局は当人の問題であって他の人がどうこういう話ではないと思うんですよね。
加えて実際の体感で言うと、大学の授業で危なくなるのって指定校組より一般組の方が多い気がします。僕自身も大学1年目で留年しています。逆に僕の高校のクラスメイトで一般ではマーチも厳しいというような同級生はいて指定校で同じ学校同じ学部になりましたが、彼は大学の成績はAとBが半々ぐらいという優等生でした。だから僕は「おまえ指定校〜」なんて口が裂けても言えるような状態ではありません笑。一般受験で入ったからといって大学でうまくいくわけでもない。逆に指定校で入ったからといってダメとも限らない。結局その後どうするかは本人次第だと思います。
ただ、こういう議論を見ていて思うのは、そもそも日本の大学入試って形がかなり固定されすぎているんじゃないかということです。もっと端的に言えばどの一律のペーパーテストなんて面白くない。
とはいえ、アメリカみたいに完全に総合型選抜に振り切る必要もないと思っています。アメリカの入試は、日本でいう総合型選抜みたいなものが中心ですが、活動歴とかエッセイとかが重くなりすぎると、それはそれで別のゲームになります。
僕のイメージはもう少しシンプルです。今の一般入試と総合型を足して2で割ったような入試。知識暗記のテストでもないし、活動実績のコンテストでもない。思考力や適性を見る筆記試験です。
イメージとしては中学入試の適性検査に近いです。例えば一つのテーマについて図で整理する、教科横断型の問題、自分の考えを説明する。こういう問題です。実際、良い問題なら一つのイシューでもかなり能力は測れます。僕は中学入試の適性検査を作ったことがありますが、ああいう問題って意外と差が出ます。
こういう入試が増えると、大学ごとの個性ももっと出る気がしています。今の日本の大学入試って、良くも悪くもほとんど同じ形の試験で比べています。だから東工大志望なのに早稲田や慶應を受ける、みたいなことが普通に起こる。
でも本来は、東工大志望なら理科大や芝浦、工学院などの理工系大学を併願するみたいな、縦のつながりで受験する方が自然だと思います。大学ごとに求める能力が違うなら、入試も違っていいはずです。縦につながりでいえば入試の傾向も似るでしょう。
東工大なら理数系の総合問題のみ、外語大なら英語の面接も含めたり、医学部なら共通テストのような処理能力と面接、みたいな形です。アカデミック色の強い京大なら「このテーマについて数学的に考えて説明してください」みたいな問題が一問あって、それをどう考えるかを見る入試でも面白い気がします。図を描いて整理する人もいるだろうし、式で整理する人もいるかもしれない。そういう思考のプロセスを見る試験です。そうすると受験生も「偏差値が近いから」という理由ではなく、自分の興味や適性に合う大学を選ぶようになるかもしれません。
高校の教育も変わると思います。今の進学校はだいたい2年までに範囲を終わらせて、3年は入試対策という形です。これは完全に入試に引っ張られた教育です。でも本来高校では、統計学を用いてAIを作るとか、積分で古典力学を考えるとか、もっと面白い授業もできるはずです。高校ごとに「この学校はこういう教育が強い」という個性も出てくると思います。
大学側にもメリットはあると思います。日本の大学の一つの問題は、入ることがゴールになってしまうことです。偏差値で大学を選ぶので、何を研究したいのか、何を学びたいのかがそこまで明確でないまま入学する人も多い。もちろんそれが悪いわけではありません。ただ結果として、入るまでが一番頑張る、みたいな構造になりがちです。
でももし入試が思考力や適性を見るような試験になれば、ある程度自分の興味や得意な方向に近い大学を選ぶ人が増えるかもしれません。そうすると大学に入ってから「自分は何をやりたいのか」という意識も今より少しは強くなる気がします。
さらにいえば企業にとってもメリットはあると思います。今は「とりあえずMARCH以上」みたいなフィルターで採用することもあります。でもこれは別に難しい数学が解ける人が欲しいというより、学生なんて特にやりたいことがなければとりあえず偏差値の高い大学を目指すものだからという前提があるからかなって。その中で難関大学に入った人というのは、それなりに努力して競争を勝ち抜いてきた可能性が高い。だから企業からすると、努力できる人のシグナルとして学歴を見ている面があると思います。それはそれで合理的です。
ただ大学ごとの個性がもっと強く出れば学生の軸も大学によって強く引き出されるので、理工系大学からオタクっぽい技術者が欲しいな、早慶から要領のいい営業タイプが欲しいなみたいに、適材適所の流れは大きくなるんじゃないでしょうか。
僕は勉強を否定しているわけではありません。教養としての勉強は特に大事です。ただ、受験勉強は人生のすべてではない。受験は日本一決定戦ではありません。たかが入学試験です。それぐらいの距離感で考えたほうがみんな幸せなんじゃないかなって思っています。


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