世の中ではお金が大事だとよく言われますが、本当にそうなのだろうかと思うことがあります。
今日生きるお金がまったくない、という人はこの国にはそこまで多くない気がしています。けれど、隣の人が7000円のジーンズを履いているのに自分は1000円のジーンズだと、少し惨めな気持ちになったりします。苦しいのはお金が足りないからというよりも、他人と比べているからなのかもしれません。
学校では順位がつき、社会に出れば年収や肩書きで比べられます。気づかないうちに「他人より劣っている=不幸」「お金があれば解決する」と思い込んでしまいます。でも本当は、仕事がつまらないとか、自分のやりたいことができていないとか、満たされない理由は別のところにあるのに、それを全部お金のせいにしてしまっている気もします。
よく考えると、現代の日本は、嫌われたからといってすぐに生きられなくなる社会ではありません。人に好かれなくても、何かが侵されるわけではありませんし、いざお金がなくなってもセーフティネットは意外と多い国です。それでも人間関係やお金の不安で苦しくなるのは、狩猟時代に刻まれた「集団から外れたら生きられない」という感覚が、今の社会にそのまま残っているからなのかもしれません。
例えば、「嫌われたら終わりだ」と思ってしまうこと。でも実際には、嫌われても住む場所も仕事もありますし、法律もあります。
例えば、「お金がなくなったら終わりだ」と思ってしまうこと。でも実際には、生活を支える制度はいくつも用意されています。
例えば、「他人より劣っていると不幸だ」と思ってしまうこと。これは進化の過程で身についた、ごく自然な感覚なのだと思います。集団の中で評価されることが、そのまま生存に直結していた時代の名残です。でも今の社会は、その前提とはだいぶ違っています。
こうした不安の正体をほどいてくれるのは、お金ではなく知識なのではないかと思います。
科学の視点で人の体や脳の仕組みを知ること。
社会学の視点で社会の構造を知ること。
心理学の視点で自分の心の動きを知ること。
仕組みを知ると、「なんだ、そういうことか」と冷静に見られるようになります。
勉強というと、テストの点数や受験のためのものだと思われがちですが、本当は人生の不安の正体を見抜けるようになることなのかもしれません。
正直に言うと、私は学校の勉強があまり好きではありませんでした。評価されるため、選別されるために歪められた内容に感じてしまって、面白いとは思えませんでした。むしろ、そこに面白みを感じるとしたら、テストで点数を取ること自体が目的になってしまっているような気もしています。誰だって学校でやるようなペーパーテストの得点で、一方的に評価されるようなものに面白みを感じません。僕は元教員としてそこは課題だとは思っています。
でも大人になった今は勉強というよりも、知識を増やして実践することがとても楽しいです。午前中に本を読んだり考えたりして、昼過ぎは少し体を動かして、夜は塾に行く。週に一度は好きなものを食べる。そんな生活がとても心地よいと感じます。
本当に勉強するということは、生きることなのだと思います。自分がどう生きたいのか、その舵を自分で取れるようになることなのだと思います。
お金が人を自由にするのではなく、勉強によって身についた知識と思考力が、人を自由にするのだと思っています。好きなことを、好きな形でやるために。
受験勉強というもっとも本来の学ぶこととはかけ離れた勉強に関わる仕事をしている塾長は普段、こんなことを考えていたりします。
ちょっと難しいことを書きましたが、
今やっていることが面白くなくても、それはごく普通のことだと思います。ただ、「学ぶ」ということそのものの楽しさは、どこかに必ずあるはずです。何か一つでいいので、昨日の自分が知らなかったことを見つけてみてください。


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