学校は塾に対して言います。
「塾はただのビジネスだ」
塾は学校に対して言います。
「学校の授業は分かりにくい」 「もっとしっかり教えてほしい」
僕はどちらにも所属してきました。高校教員として働き、 今は塾を経営しています。
だからどちらの気持ちも分かります。
でも、だからこそ思います。
僕はどちらかというと学校寄りの思想です。僕にも願いはありますがしょせん塾はビジネスです。
もちろん悪い意味ではありません。でも学校のほうが、背負っている使命は圧倒的に重いと思っています。学校と塾は、そもそも全く別物です。
学校はサービス業ではありません。
学校は、子どもの「学ぶ権利」を保障するための公教育システムです。
- 家庭環境
- 所得
- 地域
- 才能
に関係なく、 最低限の教育へアクセスできるようにする。これはかなり崇高な使命だと思っています。
だから学校には、
- 世界史
- 芸術
- 体育
- 家庭科
- 民主主義
- 他者理解
のような、一見すると“受験に不要”に見えるものも存在しています。
でもそれは、 「受験に出るから」ではありません。
「人間として生きるために必要だから」
存在しているのだと思います。
一方で、塾は違います。
僕は塾を、 ある種の「魔神のランプ」だと思っています。
保護者がランプを擦る。
子どもが願う。
- 点数を上げたい
- 合格したい
- 勉強法を知りたい
- 苦手を克服したい
塾はそれを叶えるために存在します。そしてその対価として月謝をいただき満足できるものを提供できなかったら滅ぶ淘汰される。
これがサービス業です。でも別に悪いことではありません。
むしろ塾は、 サービス業として誠実であるべきだと思っています。
2006年、高等学校必履修科目未履修問題が起きました。
世界史などの必修科目を教えていなかった高校がたくさんあったことが全国で発覚した事件です。
多くは進学校でした。
学校側は、
「自分たちの不手際によって、生徒の進路に影響を与えてしまった」
と謝罪しました。
もちろん制度上、それは問題です。でも僕は、 そこが本質だとは思いません。
僕が本当に問題だと思うのは、
「本来高校生として受けるべきだったカリキュラムを、 学校側が勝手に削っていたこと」
です。しかも怖いのは、 社会全体もそこをあまり問題視していなかったことです。
議論されたのは、
- 卒業できるか
- 補講をどうするか
- 受験に間に合うか
ばかりでした。
でも、
「高校生として世界史を学ぶ機会を失った」こと自体は、 そこまで深刻に扱われませんでした。
「本人も別に望んでいなかったのでは?」という話ではないと思っています。
なぜなら学校は、 顧客満足を目的とするサービス業ではないからです。
学校は、
「子どもがまだ知らない世界へ触れる機会を保障する場所」
だと思っています。
高校生の時に世界史へ触れる意味。
芸術へ触れる意味。
哲学や文学へ触れる意味。
それは、 「受験に必要か」で決まるものではありません。
もちろん私立学校には経営があります。生徒が集まらなければ成立しません。
保護者が進学実績を見るのも自然です。
結果として、
「この学校、実績高いね」
と思われるのは自由だと思います。
でも学校側が、
- 東大○人
- 医学部○人
- 合格率
を露骨に掲げ始めると、 どこか本質からズレていく気がします。
飲食店で言えば、
「当店は最高級の割り箸を使っています!」
と誇っているようなものです。大事なのはそこではありません。
繰り返しますが、僕の思想は学校寄りです。誤解を恐れずに言えば、僕は塾より学校の方がえらいと思っています。
僕が塾では掲げることができない崇高なミッションがあるからです。
子どもの学ぶ権利を保障すること。
だからこそ学校は、もっと堂々としていいと思っています。


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