才能とは何か

才能の正体とは脳の偏りだと思っています。寝る前とか食事しているときもぼんやりと考えている。天才とは1日で思考できる限界量が10あったとしたら、そのうちの9を同じことに割いている人じゃないでしょうか。大谷翔平も野球に全振りして野球少年の延長線上にいます。それを努力とよぶかは分かりませんが、僕は才能と努力が対極なものとは考えていません。

あまり努力はしていないのに、器用にこなすことができる人は確かにいます。ただ要領がいいだけで才能ではありません。要領がいい人ほど学歴も高い人は多いですが、要領がいいことは幸せに影響を与えないというのが持論です。僕はめちゃくちゃ要領が悪いですが、要領がいい人を羨ましいとは思いません。仕事が中途半端にできるタイプの方が、割と苦労しています。

そう考えると、あいつは天才だから…、才能か努力か…、親ガチャ…、この辺りの議論は考えても仕方ないこと。才能は偏りなんだから、大小の問題ではなくタイプの問題だから嘆いてもしょうがない。他人の才能ではなく自分の才能を見つけることをしてほしい。

大事なのは自分の才能が何であるかを見つけること、自分の才能を活かすこと。

これが意外と難しい。学校や塾に従っていただけでは絶対に見つかりません。どちらにも教養が必要です。教養とは夢中に何かに取り組むことで得られるものです。部活を通して、恋愛を通して、受験を通して、アルバイトを通して、ハマって心の底から楽しめるものなら何でもいいんです。何かにハマった経験が、その人の哲学となり広い視野で世界を見ることができます。様々な体験を通して自分の才能を知っていく。勉強ばかりしてきた高校生なんて、なんとなく良い大学行って、なんとなくいい就職先に行って、しか考えられません。

偏った才能がない。それでも構いません。いろいろな武器があることもまた1つの才能です。
例えば僕が100人に1人レベルの数学を教える能力があったとして、これを100万人に1人レベルの数学を教える能力にするにはなかなか難しいと思います。ただ100人に1人の経営者としてのスキルと100人に1人の愛想の良さを武器に、仕事を選べば100×100×100で100万人に1人レベルの塾長になれる計算です。

よく「娘が勉強の才能がなくて…部活をやるわけでもなく恋愛とtiktokばかりやっていて」なんて言われることもありますが
十分な才能じゃないですか。
僕なんて経営のためにsns用のショート動画を作ることがビジネスの最適解だと思っているのに、自分がめんどくさがりで不器用だから中々、snsの投稿がこまめにできませんし、そんな人材がいたら雇いたいぐらいですよ。

一昔前と違い、現代ではニッチな価値が。偏差値よりもtiktokで培った動画編集の技術よりお金になる。それこそ恋愛系のインスタやtiktokで、アフェリエイトで億万長者になっている人なんて山ほどいます。

あと問題はそれを活かす教養があるか。学校でやるような勉強であれば、数学が1番良いと思います。実践的な体験に加えて、知能があれば職業にできます。知能とは数学を通して、誰でも鍛えられるので、数学だけでも頑張ってみると幸せが待っていると思います。

学校とは自分の才能を見つける場所、活かす技量をつけるための場所。そうあるべきだと元教員として思います。「○○はしなくてはいけない」「○○はしてはならない」、制限ばかりついたストレスに置かれた状態ではなかなか見つけることはできないと思います。常に両手はあけておく。

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