小学校教員界隈でよくある議論として算数における掛け算の順序の問題というのがあるんです。
↓のような答案を見たことありますか?
もし保護者として、子どもがこのような答案を貰ってきたら???となりますよね。僕も同じ気持ちです。ただ掛け算の順序を気にする教員がいるのも、少なからずいるのも事実なのです。彼らの言い分は分からなくはないのですが、主な根拠として以下のものがあります。
先生たちが参考にしている指導要領というものには以下のような記述があります。
「プリンが5個ずつ入ったパックが3パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」という場面との対置によって,被乗数と乗数の順序に関する約束が必要であることやそのよさを児童が理解することが重要である。
しいて言えば好ましい順番は存在することは僕も認めます。しかし、、、
教育的な意義があるのか…。学校教員とはこの物差しで職務を全うすべきだと思っています。
掛け算の好ましい順番とはとても小学生に理解できる内容ではありません。先生が言うから機械的に好ましい順番で書いている児童はいるとは思いますが、深い意味での理解が伴う児童はほぼいないでしょう。さらに学術的な話をすれば数学にはa×b=b×aという乗法の交換法則を習います。それに従えば同じです。中学以降で掛け算の順番が違うということで×にする数学教員などいません。ですから教育的な意義はどこにもありません。
計算は合っていたのに、理解も出来ないようなシステムによって理不尽に自信を挫かせる愚行だと思っています。
ただ賛同はしなくても理解はできるんです。
これを主張する先生のなかでも部分的に尊敬できる先生もいます。あの先生がどうしてこんな採点をするのか、自分の中で1つ答えがあります。
僕は小学校の免許は持っていないですが、小学校の先生というのは児童を管理するというのは中高の先生よりも比べものにたいへんだと思っています。自分の言うことを聞かない児童がいるとは日常茶飯事なのでしょう。そうなってしまえば学級崩壊です。同僚からも無能のレッテルを貼られ、保護者からはクレームがきて、なんとしても避けたいことでしょう。子ども達に言うことを聞かせるテクニックとして、普段から守りやすいルールから守らせるというのがあります。
自学でどんどん勉強進める児童は先生の言うことを聞かなくても点数が取れる子がいます。授業聞かなくても満点が取れます。でも授業を聞かない癖がつくと、生活面でも言うことを聞かなくなるのでそれを未然に防ぐために、非合理なルールを作ることがあります。(これは中高の理不尽な校則にも当てはまります)
だから習っていない漢字を使っているから×、先生が話した計算の順序と違うから×のように自分をルールにしてしまうのです。そうすると、良い評価されるためには先生の話を聞かざるを得ない状況が作れるので、管理が楽になります。
でも、子ども達に身につけさせたい力ってなんなのでしょうか。僕は幸せになるための力だと思っています。自分の才能を見つけること、自分の才能を活かす知識をつけること。そのためには何かに夢中になって取り組むこと。失敗したって良いんです。失敗は学生の特権です。たくさんの助言よりも1つの失敗のほうが大きいんです。人にやらされたものではなく、自分がやりたいとなって夢中になって取り組んだ経験というのは、将来の宝物になります。
人によって様々な答えがあるとは思います。少なくとも偉そうな人の指示に思考停止で従うことではないと思っています。過剰に人の顔色を伺う子たちが大人になったときに、輝かしい未来を楽しく、生きていると思いますかって。