進路はピカピカ

進路に悩む学生がいます。

彼は自分に適した仕事が何かを探すために色々な仕事を調べていきました。

しかし、なかなかこれといったものは見つかりません。焦ります。

気まぐれな神様は不憫に思い、彼に進路選択に必要な全職業の知識を授けました。

彼は天職を見つけられたのでしょうか?



この話を知っていますか?恐らく知っているひとは少ないと思います。なぜかといえば僕がテキトーに作った話だからです。
でももし本当の話であれば、その学生は天職を見つけられないと僕は思っています。進路選択に迷う生徒が勉強すべきことは職業についてではなく、自分のことについてです。
偉そうに言っていますが、僕も高校生1年生の頃は医者とか薬剤師なんかいいんじゃないかって思っていた時期がありました。理系の勉強は苦手ではなく、理系の資格として短かにあったからです。いま思うと恐ろしい話です。医療系の適正なんか自分は皆無ですからね。自分が薬剤師として店番なんてしていたら5分も立たずにソワソワしてしまい、その日に退職していたでしょう。

「自分が得意なこと好きなことは何か?自分が苦手なことやりたくないことは何か?」
これに明確に答えを出せるようになったのはたった5年前です。大学を卒業して初めて正規教員として勤務したときです。実は僕は教員になる前は内心思っていたころがあります。
「自分は学力も高く、色々なことを知っているから、教員の中ではさぞかし仕事はできることだろう。」とバリバリに活躍している姿をイメージしていました。今なら笑い話です。同期一のポンコツ教員だと気づくのにはそう時間はかかりませんでしたね。
・与えられたルーティーンの仕事をこなすことができない
・職員室という周りに大人がたくさんいる環境に集中できない
・好きなタイミングでご飯食べたい
・事務作業がやりながら頭が真っ白になる
・やりたくない仕事にトコトン手が進まない
・会議が無意義すぎて、早く帰りたい。
なんか他の人は当たり前のようにこなしているのに自分には相当な負荷がかかってしまう。一年目のときは割と気にしていました。

でも幸いなことに選んだ仕事が良かったわけです。自分が勝手に思っているだけかもしれませんが、学校教員というのは歯車としての事務作業か生徒と関わる仕事(部活動、面談、補習等)のどちらかが出来れば、及第点です。営業職でポンコツでしたらもう立場はありませんが。対生徒とのコミュニケーションと教科力はあったので、授業に力を入れて放課後は早く帰るか質問対応を受けるかぐらいしかしていませんでした。
まわりの同期や先輩も生徒もほんといい人しかいなかったのでそれもよかったです。一年目が終わるころには、もう自分が事務作業バリバリで活躍するのは無理なので、「得意なことだけやろう」と割り切ることが出来たのでそのあたりは恵まれていたからだと思います。結果として三年で正規教員を辞めて、自分で事業をすることに決めましたが、「得意なことだけやろう」を振り切りすぎた結果だと思っています。
何かの手違いで事務作業や営業などに進んでいれば…恐ろしいですね。


そういったことから高校生に伝えたいことは1つ、大学生に伝えたいことは1つありますね。熱血教師口調で行きます。

「高校生たちよ、お前らは自分について無知すぎる。どういう状態だったら自分がハッピーなのかというのは人によってマチマチだ。学歴だの収入だの一般的に言われている常識なんて幻だ。まずは部活動でもバイトでも趣味でもコミュニティーに参加して、自分の役割を持て。そうすれば自分が得意なことは何かということが見えてくる。職業勉強で見えてくるものは表面的なことばかり。実際に色んなこと経験しなさい!面倒を見てくれる家族もいてお金の心配をしなくもいい。さらに感受性が一番豊かな年齢。経験を積むのに人生100年で一番適した年齢であることを自覚しなさい。きっと大人たちは大金を払ってでも得たいはずだ。君らの持つ価値を」

「大学生たちよ、お前らは完璧を求めすぎてる。大当たりの職場を求めすぎている。俺で言うなら、営業職などどう考えても特性と反する業務を引かなければ良い。さらに合わないと思ったら長く続ける必要はない。経営者はお前らが思っているほど人情溢れる人種ではない、遠慮するな。むしろ1つの組織に居続けた人間は視野が狭い。1つのことに10000人に一人の人材になることは大変だが、100人に一人の人材になるようなスキルを二つ持てば乗算で10000人に一人の価値を持てる。中には再び働くのが難しくなってしまうぐらい傷を負ってしまう人が少なくない。退職代行が流行ってきているのもその表れだ。雇用保険だったり、生活保護だったり、この国のセーフティネットは意外と手厚い。仕事で自分を殺すことはないぞ?」

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