他人の期待を殺して、失敗を笑おう。

失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。

全く問題ありません。笑っちゃいましょう。

なんで失敗が怖いのか。それは他人の期待を背負いすぎてるからだと思います。自分の失敗が自分1人のせいで済めば、構わない。でも友達が‥学校の先生が‥塾の先生が‥家族が‥。それは君が他人の気持ちを汲み取る優しさを持ち合わせているから。
塾講師が言うのもなんですが、受かった先の学校が天国とも落ちた先の学校が地獄とも限りませんからね。ある仮説を提示しますが、入試本番で上振れてラッキーで入学した高校で授業についていけず落ちこぼれてしまうことも、落ちた先の学校で伸び伸びと部活をやって生涯のパートナーと出会うこともあるわけです。受かって欲しいという思いは僕も十分持っています。気持ちもとてもわかる。落ちたら僕も悔しい。でも、本当に一番伝えたいのは一生懸命やって、落ちて、不本意な道へ進んでしまった時に笑っていられるか。落ちたという事実は誰にとっても同じですが、そこに対する解釈は人によって変わってくるわけです。

↓昔読んだ進研ゼミの漫画。右の女の子は主人公の男の子が好きだったのに、不本意な進路を進み主人公にも振られ、左の女の子は志望校に合格し主人公とも付き合いご幸せに、と

同業さんはやっぱり煽るんですよ。
合格=天国、不合格=地獄という絵図を植え付けないで欲しいんですよね。

僕も大きくわけて人生で4回ぐらい失敗して3回ぐらい泣いています。

失敗談1
大学一年生の5月。入学して早々大学の授業がつまらなくなり授業をサボるようになってしまいました。そこまで本気で取り組まなくても単位さえ取れればいいや、と。
前期の成績発表。取得単位6単位。前期の時点で留年が確定しました。自業自得なのに泣きました。
いや‥そこまで悪いと思っていませんでした。取り組みが悪いことに自覚はあってもまさか留年しているとは‥。ここまで大学で単位を取るのは大変なのかと。同級生も先輩となるし、もう辞めようと思っていた時期もありました。現実逃避もあったのですが、塾バイトを始めました。そこが自分の人生にとって転機になったことは、いまの職業を考えるとわかりますよね?教職を取ろうと思ったのも塾のバイトの経験からです。それまでは銀行員か保険会社を目指していましたからね。恐ろしい。教員になるために頑張って卒業しようと思いました。

失敗談2
大学の途中からだったので教職の単位を取るのはギリギリでした。でも教員になるためにと一生懸命に通い、計算上どうにかなったと思った大学四年ですが、また悪い癖がでましたね。いけるだろうという甘え考えで、一つだけ取りきれませんでした。卒業はできたのですが、教員免許はもらえず、残った僅かな単位を取るために通信制の大学に行きました。採用が決まっていた高校に事情を話して辞退しました。出会えるはずだった生徒のことを考えると泣きました。
大学在学中はずっと個別指導塾にいたのですが、通信制学校時代はすぐ単位は取れるので大手の集団塾で働きました。その時から個別指導には割と自信はあったのですが、集団授業は別です。教育実習でプロの先生の授業と比較してしまい割と苦手意識はありました。でも大手集団塾では社員の人がしっかりと授業を見る研修があり、業務後に半強制で行われていたので評判は悪かったのですが、自分にとってはかなり大きな経験になりました(お金は訴えて、きっちりと貰いました)。自分の授業の型というのを見出し、半年でスター講師の表彰もされ、授業には自信を持ったまま翌年の正規教員の道へ進みました。逆に学校教員は授業の研修などほとんどありません。じっくり授業を見てもらう機会は貴重なものだったので、通信制学校へ行き、回り道したことは自分のなかで結果的に大きかったわけです。教職を目指す人は集団塾でバイトしよう。

失敗談3
正規教員二年目では、プライベートで今までにないほど人と深く関わることになりました。こんなにも美しくて温かいものがあるなんて。しかし、自分の心の未熟さと拙さゆえに、自分の手で壊してしまった。泣きました。
そして二つのことに気づきました。
①心が弱いのは体が弱いからだ。ジムに行き、食事や睡眠にも気を使い、最強の心身を維持しよう。
②考え方は人それぞれ。だから他人の期待を勘定に入れても仕方ない。自分ができること、やりたいことだけをしよう。

今でこそ自由主義な考えに至りますが、そもそも正規教員一年目はそこまで割り切れていませんでした。
「やっぱり教員は安定した道なんだから、辞めるなんて勿体無い」
「自分で事業をやるなんてリスクの高い行為。一度しかない人生なんだからもっと慎重に生きよう」
「貯金!安定!結婚!」
今とは正反対で笑っちゃいますね。
安定より不安定。他人主義より自己中心。居心地の良さより身軽さ。きっと筋肉に思考が支配されたのかもしれません。
正規教員最後の三年目では高校三年の担任で卒業生を見送り、自分の事業をすることになりました。

失敗談4
塾を作ってからはもう失敗の嵐ですね。うまく行っていった方が少ない。開業時に10万かけて撒いたチラシの成果はゼロ。最初の一年目は日雇いのバイトをしながら、塾を維持するのが精一杯でした。
「そんじょそこらの学生が教えるような大手個別塾よりは遥かに授業のクオリティが高いはずだ。学生じゃなく自分が教えるんだから成績は伸びないはずがない。さらに授業も最大で1on2で料金もそこそこ止まり。でも人が集まらないから伝えようがない。学校では勝手に生徒が自分のクラスに割り当てられたのに‥。」

でも今までと違うのは泣いていません。むしろ笑っていました。あっはーっはー

辞めた学校の教え子の入塾を除けば一年目は3人だけでした。色んな手を打ちましてyoutuber、フランチャイズのプログラミング教室、相模原校と相武台校と八王子校の同時運営等々、打った手の9割ほどは途中で撤退しました。チキンメーカーのアフェリエイトで販売促進動画やラップの動画をyoutubeに出していたのが懐かしい。組織に属していれば失敗しそうなときは上司が止める。そして前例的に成功しそうなことばかりに手をつける。でも経営者には上司がいません。だから誰にも止められずに失敗します。しかし、失敗の責任は全部ひとりで取れる。だからいくらでも失敗し放題。むしろ失敗が心地よい。また学びが増えたぞって

明けない夜はないと言う言葉もありますね。大切にし続けた生徒たちからの紹介と授業動画のリールを主軸としたインスタが当たりました。失敗の数を考えればきっと打率0.3割ぐらいですが、最近の生徒は紹介とインスタが大半です。そこからまだ一年しか経っていませんが今年度の正規のコマはあと1枠しか空いてない塾になりました(募集中)。大手塾みたいにネット広告やチラシ配布をしなくても集まってくれる塾になりました。いろんな失敗があったからだと思っています。

ここまで読んでも可哀想な人だと感じますか?たぶん楽しそうだなって印象をもつでしょう。でもそれは僕の解釈に触れたからだと思います。


大学の一年を無駄にした。
内定辞退しざるを得なかった。
拒絶された。
せっかく資格を取ったのに業界のシステムと合わなかった。
教員時代の貯金を使い果たし、貧乏生活を送った。

とのように解釈することもできたかもしれません。

他人の期待を殺すことが、笑いのコツです。

多分ですが「あなたの失敗なんて誰も気にしていません。自意識過剰ですか?」
暴言のように聞こえたら申し訳ないのですが、逆に他人の失敗を見ていちいち感情が動かされますか?ナイストライですよね。人生そんなもんです。

なので何かに全力に取り組んで、もし失敗したら笑っちゃえば大丈夫です。
実際にはクレームが怖いので、そういう場面になったら僕は悲しそうな感じを出すと思います。でも誘ってくれたら、笑います。きっと10年後にはあなたは笑っていますから、あとは時期の問題ですね。僕も負けないように頑張ります。今は大きく飛ぶために充電中です。

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