リヴァイ兵長から学ぶ教育学

進撃の巨人を読んでいて、いいなと思ったセリフがあります。

女型の巨人から追われている。

しかし、主人公の新米のエレンは巨人化できる力を持っている。

戦えば勝てるかもしれない。一方で、ベテラン揃いのリヴァイ班は

「戦うな。俺たちには考えがある」と判断する。

その間で揺れるエレン。そこでリヴァイが言う。

「お前は間違ってない。やりたきゃやれ。」


こういう場面は、教育の現場でもよくあります。

教員としても、保護者としても、大人が揃って

「それはやめた方がいいだろ…」

「その選択は危ないだろ…」

そう思う瞬間があります。

むしろ、真剣に関わっているほど、そう思うものです。

教員はある意味「期間限定の関係」ですが、親は特に違います。

その子の人生に、ずっと関わり続ける存在です。

だからこそ

「失敗させたくない」「安全な道を選ばせたい」

そう思うのは当然だと思います。

僕自身、子どもはいませんが、もし自分の子どもだとしたら、同じように

「選択を誤って傷ついてほしくない」と思うはずです。


僕は大学で教職を取っていましたが、教育学では「主体性」という言葉がよく使われます。

正直、少しマジックワード的な側面もあります。

ただ、端的に言えば「自分の意思に基づいて行動すること」です。

ここまで多くの教育者が口を揃えて言うというぐらいには、

やはり重要な概念なのだと思っていて、昭和的な「前ならえ」の教育からアップデートされた考え方だとも感じています。

僕自身も、とても大切な考えだと思っています。ただ、これが意外と難しい。


学校と塾を合わせて、これまでたくさんの子どもを見てきました。

その経験則からすれば、

「その選択はうまくいかない可能性が高い」と思うことはたくさんあります。

でも同時に、こうも思います。

この国に生きる子どもたちが、その選択を間違えたことで、取り返しのつかないほどの傷を負うことは、実はそこまで多くないのではないか、と。

巨人に食われるわけでもありません。


そう考えたときに重要なのは「どの選択が正しいか」ではなく

「誰が選んだか」なのではないかと思います。

むしろ、これからを生きる子どもたちにとって一番よくないのは、

「親がこう言ったから」

「先生がこう言ったから」

と、自分の人生のハンドルを握らないまま大人になってしまうことです。

大人になっても

「会社がこうだから」

「世代がこうだから」

「政治がこうだから」

と、他人や環境のせいにし続けてしまう。

そうなることは、想像に難くありません。これが一番まずい。

だからこそ、選択を本人に委ねて、「選ぶ練習」を積むことが大切なのだと思います。


いろんな視点から話すのは大事です。

・こういうデータがあります

・こういうリスクがあります

・こういう選択肢もあります

親、学校の先生、先輩…

その中の一人として塾長を頼ってくれるのであれば、必要な情報は的確に渡すことができます。

自分の軸を作るためにも、いろんな人の意見を知ることは重要です。進路の悩みなら一緒に見学でも行ってもいいんじゃないでしょうか。


「あのとき先生がそう言ったから」

「親がやれって言ったから」

そうやって選んだ結果、失敗してしまったとき。

これはかなり危うい状態です。

なぜなら、その失敗は自分のものにならないからです。

一方で、自分で選んだ結果の失敗はどうでしょうか。

もちろん後悔はします。

でもそれは「納得できる後悔」になります。

そして、そこから得られる経験はとても大きいものです。

むしろ誰かに指示された“正解の道”を歩くよりも価値があるんじゃないかって。


自分自身を振り返ってもそうです。

「いい経験だった」と思えることほど、

当時は反対されるような選択が多かった気がします。

でも今思えば、やらないという選択はあり得ませんでした。

だからこそ、教育において大事なのは失敗させないことではありません。

選ばせることです。

そしてその選択を引き受ける力を育てることです。

リヴァイの言葉は、一見すると突き放しているように見えます。

でも本質は違います。

「お前の選択を信じる」

という、最大限の信頼です。


子どもを守ることと、

子どもを信じることは、必ずしも同じではありません。

どこまで介入し、どこで手を離すのか。

その線引きを考え続けることこそが

教育なのだと思います。

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