前回の記事で、僕は小学生にとって大切なのは好奇心であり、そのためには様々な体験が重要だと書きました。ただ、記事を書いた後で少し補足したいことがあります。
それは、体験なら何でも良いわけではない
ということです。
非認知能力という考え方
最近は「非認知能力」という言葉をよく聞くようになりました。学力テストの点数のように数値で測定できる力を認知能力と呼ぶのに対し、
- やり抜く力
- 忍耐力
- 協調性
- 主体性
- 自己肯定感
など、数値では測りにくい力を非認知能力と呼びます。
教育経済学や発達心理学の研究では、幼少期の学力だけでは説明できない将来の差が存在することが分かってきました。
幼少期に学力としては大きな差が見られなかった子どもたちでも、
- 将来の収入
- 学歴
- 健康
- 犯罪率
- 幸福度
などに違いが現れる。
その背景には、学力テストでは測れない何らかの力があるのではないか。そうした研究の中から注目されるようになったのが非認知能力です。僕自身も、非認知能力という考え方そのものは非常に重要だと思っています。
実際、塾をやっていても最終的に伸びる子は、
頭が良い子というより、
- コツコツ続けられる
- 自分で考えられる
- 失敗しても立ち直れる
- 分からないことを放置しない
子であることが多いからです。ただ一方で、最近は少し違和感もあります。非認知能力という言葉が広まるにつれて、
「このキャンプで主体性が育ちます」
「この習い事でやり抜く力が身につきます」
「この体験で非認知能力が伸びます」
という言葉もよく見かけるようになりました。もちろん効果がないとは言いません。
ただ僕は、
本当に大切な非認知能力というのは、大人が意図して育てようとした時よりも、子どもが勝手に夢中になった時に育つことが多いのではないか
と思っています。
僕自身を振り返ってもそうです。
子どもの頃、僕はドラゴンクエストモンスターズというゲームに夢中になっていました。
モンスターを配合して、より強いモンスターを作るゲームです。
その配合パターンが書かれた攻略本を隅々まで読み漁り、
「このモンスターを作るには何が必要か」
「どこで仲間にできるのか」
「どうすれば効率よく強くなれるのか」
を毎日のように考えていました。
振り返ってみると、ドラゴンクエストモンスターズから学んだことは意外と多かったように思います。
まず一つは、システムを理解すること。どのモンスターとどのモンスターを配合すると何が生まれるのか。
能力はどう引き継がれるのか。ゲームのルールを理解しなければ強いモンスターは作れません。
二つ目は、課題を解決するために論理的に組み立てること。
最終的に欲しいモンスターを作るためには何が必要か。
さらにそのためには何が必要か。
と逆算していく。
今思えば、数学の証明や経営の計画づくりにも近い発想だったのかもしれません。
そして三つ目は、何かを育成する喜びです。
苦労して集めたモンスターが強くなっていく。
配合を重ねて新しいモンスターが生まれる。
時間をかけて育てたものが成長していく。
その楽しさに夢中になっていました。
もしかしたら、数学科に進んだことも、教育の仕事をしていることも、その原点はあのゲームの中にあったのかもしれません。
もちろん親は、
「論理的思考力を育てるために買った」
わけではないと思います。
ただ僕が欲しそうにしていたから買ってくれた。
それだけでしょう。
そして、同じゲームを他の子どもに与えたからといって、その子が僕と同じように夢中になるとも限りません。
でも僕は、質の良い体験というのは案外そういうものなのではないかと思っています。
大人が、
「この体験で主体性を育てよう」
「この体験で論理的思考力を育てよう」
と考えて与えたものではなく、
子ども自身が勝手に夢中になってしまうもの。
振り返ってみると、
- 情報を整理する力
- 目標から逆算する力
- 試行錯誤する力
の原点は、あのゲームにあったような気がしています。
今の仕事で必要な考え方も、もしかするとあの頃に身についたのかもしれません。
だから僕は、
本当に良い体験というのは、大人が意図したものの外側にあることも少なくない
と思っています。
教育熱心な親ほど、
「この体験が将来につながる」
「この習い事が役に立つ」
と考えたくなります。
その気持ちはよく分かります。
でも、子どもの人生を変えるような経験は、案外そういうところからは生まれないのかもしれません。
そう考えると、習い事についても少し考えさせられます。
僕は習い事そのものを否定したいわけではありません。
むしろ運動系を一つ。
文化系を一つ。
それくらいは良い経験になることも多いと思っています。
ただ最近は少し詰め込みすぎではないかとも感じています。
月曜日は英語。
火曜日は水泳。
水曜日はピアノ。
木曜日は塾。
金曜日はプログラミング。
土曜日はサッカー。
これでは子ども自身が、
「自分は何が好きなんだろう」
を考える余白がなくなってしまいます。

2023年の調査では、
「もっと友達と遊びたい」
と答えた小学生が7割を超えていました。放課後に友達と遊ぶ機会も減っているそうです。
僕はこの結果を見て少し考えさせられました。
教育熱心な家庭ほど、子どもの将来を思って予定を埋めてしまう。
でも子どもにとって本当に必要なのは、もう一つ習い事を増やすことではなく、
友達と遊ぶことかもしれない。
何も予定のない午後かもしれない。
退屈な時間かもしれない。
そんな余白の中で、
秘密基地を作ったり、
虫を捕まえたり、
カードゲームをしたり、
くだらない話をしたりする。
その経験が後になって、好奇心や主体性につながることもあるのではないでしょうか。
もしかすると、勉強も同じなのかもしれません。
昔の寺子屋を想像すると、新しい知識を知ることそのものに楽しさがあったのではないでしょうか。
知らない漢字が読めるようになる。
遠くの国の話を知る。
星がなぜ動くのかを知る。
世の中の仕組みを理解する。
本来、学ぶという行為は世界を広げるためのものだったはずです。ところが教育が制度化され、
評価され、順位がつき、他人と比較されるようになる。
すると少しずつ目的が変わっていきます。
知識を得ることではなく、
テストで点数を取ること。
順位で勝つこと。
偏差値を上げること。
が目的になる。もちろん評価制度そのものを否定したいわけではありません。
限られた人数を選抜する以上、何らかの基準は必要です。
ただ、競争のための勉強だけになってしまうと、多くの人にとって勉強は面白くなくなります。
なぜなら、
勉強の楽しさが「知ること」ではなく、「勝つこと」になってしまうからです。
勝てば楽しい。
負ければつまらない。
それでは勉強そのものが好きになるのは難しい。
僕がドラゴンクエストモンスターズに夢中になったのも、
誰かに評価されたかったからではありません。
ただ面白かった。
もっと知りたかった。
もっと強いモンスターを作りたかった。
だから攻略本を読んだ。
だから調べた。
だから考えた。
もし毎週強いモンスターを作る配合の暗記テストをされて、順位づけされていたら案外つまらなくなっていたかもしれません。
お金と教育の相談室シード 代表 加藤祐太


Contact