学校の授業の当たり前 ① 社会編|歴史は縄文時代から教える必要があるのか?

先日、横浜みなと博物館へ行ってきました。

そこで、ずいぶんお話好きなボランティアの方に捕まりました。

気づけば30分ほど。横浜の開港から港の発展、戦争、戦後の復興まで、いろいろな話を聞かせてもらいました。

そして、ふと思ったんです。

「歴史の授業って、こういうのでよくない?」

僕はこれまで学校の教員として、そして現在は塾の経営者として教育に関わってきました。

その中で、学校の5教科にはそれぞれ違った課題があると感じています。

特に問題が大きいと思っているのが英語、次いで社会です。

今回は、その社会科について考えてみたいと思います。

僕は、社会科という教科は本来ものすごく面白いものだと思っています。

政治、経済、戦争、宗教、文化、地理。どれも、今の世界と直接つながっています。

ところが、学校の歴史の授業はどうでしょうか。

「縄文時代には、縄文土器や竪穴住居があり、人々は狩猟や採集をして暮らしていました。」

「飛鳥時代には、聖徳太子が十七条の憲法を定め、遣隋使を派遣しました。」

はっきり言って、僕は面白くありませんでした。

そもそも、聖徳太子については、後世に伝えられた人物像や業績のどこまでが史実なのか、議論があります。

そんな人物の細かなエピソードを覚えて、中学生がどれほど歴史の面白さを感じられるのでしょうか。

もちろん、古代史に価値がないと言いたいわけではありません。

ただ、今の社会がなぜこうなっているのかもよく分からない段階で、何千年も前の土器や人物の話から始める。

僕は、その順番に疑問があります。

歴史を学ぶ目的は、今の社会がなぜこうなっているのかを理解し、過去から学ぶことではないのでしょうか。

だったら、必ずしも縄文時代から順番に教える必要はないと思います。

むしろ、今の社会にある疑問から始めて、その答えを探すために過去へ遡る。

僕は、そういう歴史の授業の方がずっと面白いと思っています。

例えば、今日聞いた横浜の歴史です。

今でこそ横浜は日本を代表する大都市ですが、開港前の横浜は小さな村でした。

ところが1853年、ペリーが来航します。

日本は開国を迫られ、外国との貿易を始めることになります。

開港地をめぐっても、江戸に近く東海道にも面した神奈川宿周辺を望む外国側と、外国人を江戸や東海道からなるべく遠ざけたい幕府側では、思惑が異なりました。

その結果、横浜村側に港が整備され、1859年に開港します。

それまで小さな村だった横浜が、国際貿易の拠点として急速に発展していきます。

外国人居留地ができ、鉄道が開通し、貿易が拡大する。船が大型化し、物流の仕組みが変わるにつれて、港も埋め立てや新たな埠頭の整備によって姿を変えていきます。

その後、関東大震災や太平洋戦争による空襲で大きな被害を受け、戦後の接収や復興を経て、現在の横浜へとつながっていきます。

どうでしょうか。

一つの街の歴史を追いかけるだけで、開国、外交、産業、戦争、復興といった日本の近現代史の重要な出来事が次々に登場します。

しかも、ただ年号や出来事を並べるのではありません。

「なぜ横浜は、今のような大都市になったのか?」

という一つの疑問に答えるために、歴史を学んでいるわけです。

僕は、こういう学び方の方がずっと面白いと思っています。

別の例として、日本国憲法を考えてみます。

「なぜ日本には天皇がいるのに、政治を行わないのか?」

という疑問から始める。

まず現在の日本国憲法を学びます。

そこから、なぜ戦後に憲法が変わったのかを考える。

すると、太平洋戦争や敗戦について知る必要が出てきます。

さらに、戦前の天皇にはどんな権限があったのかを考えると、大日本帝国憲法に遡ります。

では、なぜ明治時代に憲法が作られたのか。

明治維新や自由民権運動、欧米の立憲政治について学ぶことになります。

必要であれば、江戸時代や古代の国家形成まで遡ってもいいでしょう。

現在の疑問を解決するために、必要な過去を学んでいく。

僕が提案したいのは、時代を軸にして歴史を学ぶのではなく、一つの視点から歴史を眺めるという学び方です。

横浜という視点から歴史を眺める。

日本国憲法という視点から歴史を眺める。

日本とアメリカの関係という視点から歴史を眺める。

すると、別々の物語を追いかけているはずなのに、同じ歴史的転換点に何度も出会うことになります。

例えば、ペリー来航。

横浜の発展を学んでも出てきます。

明治維新を学んでも出てきます。

日本の外交を学んでも出てきます。

太平洋戦争も同じです。

日本国憲法、日米関係、教育制度、経済復興など、さまざまなテーマで登場します。

でも、そのたびに見る角度が違います。

同じ出来事を違う視点から何度も眺めることで、その出来事の持つ意味が少しずつ深まっていく。

これは、僕の専門である数学にも似ています。

例えば、中学1年生で方程式を習います。

最初は方程式が全然できなかった生徒でも、中学2年生では連立方程式を習い、一次関数の交点を求めるときにも方程式を使います。

中学3年生では二次方程式を習い、関数や図形の問題でも方程式を使います。

そうして何度も使っているうちに、卒業する頃には方程式を当たり前のように使えるようになっていることがあります。

これは、方程式をただ何度も暗記させたからではありません。

別の問題を解決するために、方程式という知識を繰り返し使ったからです。

社会でも、同じようなことができるのではないでしょうか。

重要な出来事だから覚えなさい、と教えるのではなく、さまざまな疑問を解決しようとすると、何度も同じ出来事にたどり着く。

その結果として、重要な歴史が自然と定着していく。

そして、このような学び方は、海外でも実際に取り入れられています。

例えばイギリスのイングランドでは、11〜14歳ごろの歴史教育に、時代を横断して一つのテーマを学ぶ方法が取り入れられています。

政治権力が古代から現代までどのように変化してきたのか。

人々の移住が社会にどのような影響を与えてきたのか。

地域の風景や土地利用が長い時間の中でどう変化してきたのか。

そうしたテーマを通じて、歴史の変化や連続性を学ぶことが、国の教育課程でも例示されています。

さらに、イギリスの中等教育修了段階の資格試験であるGCSEの歴史科目には、「イギリスの医療の歴史(1250年頃〜現代)」や「犯罪と刑罰の歴史(1000年頃〜現代)」といった単元があります。

例えば医療の歴史なら、病気の原因を人々がどう考えていたのか、どのような治療が行われていたのか、それが科学の発展によってどう変わったのかを、何百年にもわたって追いかけるわけです。

もちろん、イギリスでも年代順の歴史教育は行われています。すべてがテーマ別というわけではありません。

それでも、時代を横断して一つの視点から歴史を学ぶ方法が、学校教育だけでなく試験制度にも組み込まれているというのは、参考になると思います。

僕は、日本でもこうした方法をもっと取り入れていいと思っています。

そして、こうした学び方をすると、自然と近現代史の比重が大きくなるはずです。

現在の日本を理解しようとすると、ペリー来航、明治維新、太平洋戦争、戦後改革などが何度も登場します。

政治制度、教育、産業、外交、憲法。

どのテーマから入っても、こうした転換点にたどり着くからです。

もちろん、古代史や中世史に価値がないとは思いません。

ただ、縄文時代の土器の種類や古墳の形を細かく覚えることと、現代の政治制度や国際関係がなぜこうなっているのかを理解すること。

限られた授業時間の中で、どちらにより多くの時間を使うべきなのでしょうか。

僕は、後者にもっと時間を使ってもいいと思っています。

歴史を古い順番に学ぶことにも、出来事の前後関係を理解しやすいという利点があります。

ただ、それだけが歴史の学び方ではありません。

歴史を学ぶことの目的は、過去の出来事をたくさん覚えることではなく、今の社会を理解することにある。

僕はそう考えています。

横浜みなと博物館で聞いた話は、まさにその一例でした。

一つの街がなぜ発展したのか。

その疑問を追いかけるだけで、日本の近現代史が一つの物語としてつながっていく。

しかも、横浜の歴史を知った後では、今まで何となく見ていた港や街並みの見え方まで変わってきます。

それこそが、歴史を学ぶ面白さなのではないでしょうか。

「この時代には何が起きたのか」ではなく、「今の社会は、なぜこうなったのか」。

僕は、そんな問いから始まる社会科の授業が、もっと増えてほしいと思っています。

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