「あいつは〇〇大学に一般受験で受かる学力がないのに、指定校推薦で入った。ずるい。」
SNSではこうした意見をよく目にします。その気持ちは分かります。
僕自身も一般受験で大学に進学しましたし、現在は塾を経営しています。毎年、一般受験に向けて必死に努力する生徒を見ていると、「報われてほしい」と思うのは自然な感情です。実際、僕の塾も一般受験が中心ですし、同業者も一般受験を軸に指導している塾が多いため、「推薦より一般受験」という価値観を持つ先生も少なくありません。
それでも、僕はあえてこう考えています。
一般受験そのものが、そこまで神聖なものではない。
東京科学大学の女子枠の話題もあり、最近は推薦入試そのものの是非について議論を目にする機会が増えました。
しかし、そもそも大学入試とは何でしょうか。僕は、「大学が育てたい学生を選ぶための制度」だと思っています。
大学は、お勉強日本一決定戦を開催しているわけではありません。もちろん、学力試験を重視する大学があってもいい。
一方で、「高校3年間の努力を評価したい」「評定の高い生徒を取りたい」「探究活動を重視したい」と考える大学があってもいい。
大学がそういう学生を育てたいのであれば、そのような学生を選抜するのは大学の自由です。
実は僕自身、学校の成績を取るのが得意ではありませんでした。
中学校の内申は合計すればオール3程度。高校では学年ビリの評定を取ったこともあります。
毎回の定期テストを全教科頑張り、提出物を期限通り完璧に出し続けるようなタイプではありませんでした。
だからこそ、「一般受験だけが唯一正しい選抜方法だ」とはどうしても思えません。
推薦入試を批判する人の中には、「推薦で入った人は大学についていけない。」
という意見もあります。ただ、僕はそこも少し疑問です。
もちろん大学によりますが、「推薦組の方が成績が悪い」と一概に言えるのでしょうか。
少なくとも、一般受験で入った僕自身が留年しています(笑)。結局、大学で伸びるかどうかは、入試方式だけでは決まりません。
なぜ推薦がここまで批判されるのか。それは、筆記試験が必要以上に神聖視されているからではないでしょうか。
受験は、あくまで適性を見るための一つの方法です。
難関大学の数学や英語が解けることは確かにすごい能力です。
しかし、それは「実社会で最も重要な能力」と同義ではありません。
偏差値が高い。
科目数が多い。
だから大学の序列まで決まる。東大は上の大学でそれ以外は下だと。
そういう発想には、以前から違和感があります。
一方で、僕はすべての学力試験を否定しているわけではありません。
例えば、公立高校入試で問われる中学校レベルの学力は、義務教育として身につけておくべき教養だと思っています。
そのレベルは、多くの人に必要です。ただ、その先の大学入試、とりわけ難関大学のペーパーテストが、社会での能力をどこまで測っているのかは別問題です。
最後に、女子枠についてだけは少し話が違います。
推薦制度そのものと、性別を選抜基準にすることは分けて考えるべきだと思っています。性別や人種といった、生まれ持った属性を基準にする場合は、法的な問題も関わってきます。実際、アメリカでは人種を考慮した入試について長年議論が続き、現在では大きく制限されています。
その意味で、女子枠については推薦制度とは別に、憲法や法律との関係を慎重に議論する必要があるでしょう。
逆に言えば、そこが法的に整理されているのであれば、大学が「こういう学生を育てたいので、この基準で募集します」と公表して選抜すること自体は、それほど騒ぎ立てることではないと思っています。評価される競争に参加する以上、評価する側の基準に合わせる必要があるのは当然です。
アルバイトの面接でも、企業の採用でも、評価する側には一定の裁量があります。大学だけが例外である理由は、僕にはあまり見当たりません。


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