学歴主義youtuber

最近、YouTubeチャンネル「wakatte.TV」が炎上して話題になっています。

wakatte.TVとは、大学の偏差値や学歴を題材にしたYouTubeチャンネルです。街頭インタビューなどを通じて、大学名や学歴を面白おかしく取り上げるコンテンツを発信しています。

まず、僕自身はwakatte.TVについて、それほど否定的には見ていません。

そもそもエンタメですから、面白いかどうかが大切だと思っています。僕自身はそこまで熱心に見ているわけではありませんが、あれだけ多くの視聴者を集めているのですから、コンテンツとして支持されていることは確かでしょう。もちろん、エンタメだから何を言っても許されるというわけではありません。ただ、動画内で演じているキャラクターと、出演者本人の実際の価値観は分けて考える必要があると思います。

ですから、今回の炎上をきっかけに出演者個人の人格や思想をあれこれ批判するつもりはありません。

ただ、もう少し一般的な「学歴主義」という視点で考えると、僕には以前から気になっていることがあります。それは、なぜ勉強ができるかどうかが、人間そのものの評価にまで結びついてしまうのかということです。

例えば、かけっこが遅い人がいたとします。

その人を見て、「運動が苦手なんだな」と思うことはあっても、それだけで人間としての能力が低いと判断する人は、それほど多くないでしょう。

人前で話すのが苦手な人も同じです。話すのが得意な人もいれば、苦手な人もいる。それは一つの個性として受け止められます。

もちろん、運動能力やコミュニケーション能力が仕事や生活に影響することはあります。でも、それらが苦手だからといって、その人のすべてが否定されるわけではありません。

ところが、勉強になると少し事情が変わります。

「偏差値が低い。」

「大学に行っていない。」

「有名大学ではない。」

こうした情報が、いつの間にか「頭が悪い」「努力できない」「能力が低い」という評価にまでつながってしまう。

僕はここに、かなり違和感があります。勉強が得意であることは、数ある能力の一つにすぎないはずです。

もちろん、僕は勉強そのものを軽視しているわけではありません。むしろ、小中学校までの勉強については、かなり重要だと考えています。文章を正しく読む力、割合や確率を理解する力、基本的な科学や社会の知識。こうしたものは、どんな仕事に就くとしても役立つ基礎教養です。一般的な公立高校入試で平均より少し上くらいの問題が解けるのであれば、特別な武器にはならなくても、社会で生活するための教養として、かなりの素地ができていると思っています。

でも、大学受験となると話は別です。もっと誤解を恐れずに言えば、僕は大学受験なんて、ある意味では趣味の領域だと思っています。

もちろん、大学へ進学することには価値があります。医師になりたいなら医学部へ進む必要がありますし、研究したい分野があるなら、それに適した大学を選ぶ意味があります。また、学歴によって就職の選択肢が広がることもあるでしょう。

ただ、それは大学へ進学することの価値であって、大学受験の問題が解けること自体の価値とは、少し違うと思っています。

難関大学の数学が解ける。

難しい英文を正確に読める。

膨大な知識を覚えている。

どれも素晴らしい能力です。でも、だからといって、全員がそれを身につける必要があるのでしょうか。

僕はそうは思いません。

例えば、マラソンが好きな人が毎日何時間も練習して、ものすごく速く走れるようになったとします。

それは素晴らしいことです。

でも、マラソンをしない人に対して「どうして速く走れないんだ」とは普通言いません。

大学受験も、ある程度それに近いものだと思っています。東大に行きたい人が何千時間も勉強するのはいい。難しい数学が面白くて、何時間でも問題を解いているのもいい。ただ、その競争に参加しなかった人や、そこで結果を出せなかった人まで、必要以上に低く評価する理由はないと思います。

そして、僕が学歴主義について最も危惧しているのは、勉強ができない子が低く評価されること以上に、勉強ができないという理由で、本人まで自分の価値を低く見積もってしまうことです。

「自分は頭が悪いから。」

「どうせ自分なんて。」

そんな言葉を生徒から聞くことがあります。でも、僕からすれば、そんなことはまったくありません。

僕がこれまで出会ってきた生徒たちは、みんなそれぞれに面白い個性や熱意を持っています。

人と話すのが得意な子。周りの人をよく見て気遣える子。好きなことになると驚くほどの集中力を発揮する子。大人には思いつかないような発想をする子。

勉強ではなかなか結果が出なくても、この子はこういう場所で、こういう戦い方をすれば強いだろうなと思うことが何度もあります。

ところが、本人はそのことに気づいていない。学校生活の中では、どうしてもテストの点数や偏差値で評価される機会が多くなります。その結果、勉強が苦手だという一点だけで、自分自身を「能力の低い人間」だと思い込んでしまう。

僕は、それが本当にもったいないと思いますし、その責任は我々にあるのでは?と日々痛感します。

もちろん、勉強は大切です。できるようになれば選択肢も広がりますし、僕自身も数学を教えることに大きな価値を感じています。

でも、勉強はその子の可能性を広げるためにあるのであって、その子自身の価値を決めるためにあるわけではありません。

だから僕は、学歴を競うこと自体を否定するつもりはありません。難関大学を目指して努力するのも素晴らしいことです。ただ、その競争の結果を、自分自身の価値と結びつけてほしくない。

勉強ができないことよりも、勉強ができないから自分には価値がないと思ってしまうことの方が、僕はずっと怖いです。

それが、教育に携わる人間として、今の学歴主義に感じている一番の違和感です。

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