僕は幼児教育の専門家ではありません。
10歳下の弟がおり、その成長を近くで見てきたこと、そしてフルスマを作って少し前まで2年ほどスイミングスクールで幼児指導をしていた経験はあります。しかし、保育士や幼稚園教諭の先生方のように専門的に幼児教育に携わってきたわけではありません。
僕はこれまで、数学教師として、塾長として、多くの中学生・高校生と関わってきました。そのため、中学生の勉強法や高校生の進路についてなら比較的自信を持って話せます。しかし、幼児教育については今まさに学んでいる最中です。
最近、『幼児教育の経済学』や『子どもへのまなざし』などを読みながら、幼児期の教育について考えることが増えました。
教育経済学の研究者たちは、口を揃えるように「最も重要な教育は幼児期にある」と言います。
もちろん年齢によって大切な教育は違うと思います。僕自身は、小学生には体験、中学生には教養、高校生には自己理解が大切だと考えています。
その上で、幼児期について考えれば考えるほど、特別な教育法よりも大切なものがあるような気がしています。
それは、親や周囲の大人と過ごす時間です。
誤解を恐れずに言えば、僕は幼児期においては質より量だと思っています。
もちろん暴言や放置が良いわけではありません。最低限の質は必要です。
しかし僕は、「質の高い教育」という言葉に少し違和感があります。
僕が子どもの頃には右脳教育ブームのようなものがありました。
フラッシュカード。英才教育。
幼児のうちから能力を伸ばそうという考え方です。
もちろん僕は幼児教育の専門家ではありませんから、それらを全否定するつもりはありません。
しかし幼児教育について学べば学ぶほど、能力開発よりも先に大切なものがあるような気がしてなりません。
高価な教材でしょうか。
有名な幼児教室でしょうか。
英語やプログラミングを早くから学ぶことでしょうか。
僕はそうは思いません。
むしろ、
たくさん話しかけること。たくさん抱っこすること。
たくさん笑うこと。たくさん一緒に遊ぶこと。
そうした何気ない時間の方が、はるかに大切なのではないかと思うのです。
僕はスイミングスクールで2歳頃から年長ぐらいの子どもたちを指導していました。年中や年長になるとあまり見られませんが、2歳や3歳くらいの子どもだと、お母さんから離れられずに泣いてしまう子が時々いました。
プールへ行こうとしても、お母さんの足にしがみついて離れない。
お母さんも困ったような表情を浮かべながら、
「大丈夫だから行っておいで」
と声をかける。それでも泣いてしまう。
コーチとしては少し複雑です。レッスンを進めなければなりませんし、一人に付きっきりになるわけにもいきません。
ただ僕は、そんな光景を見るたびに少し微笑ましい気持ちにもなっていました。
子どもは不安だから泣いている。
お母さんはコーチに迷惑をかけられないとおもいつつも心配で離れられない。
お互いが相手を求めている。
そこには確かに愛情があるように見えるからです。そんな関係性が伝わってきたからです。
あの親子は今どうしているのでしょうか。きっと何年経っても良い関係を築いているんじゃないかな、と勝手に想像しています。
もちろん、最終的には親元を離れ、自分で挑戦していかなければなりません。
しかし僕は、「離れたくない」と泣けること自体は、決して悪いことではないと思っています。
むしろ、
「困ったら助けてもらえる」
「不安な時には頼れる人がいる」
という安心感があるからこそ、人は新しい世界へ踏み出せるのではないでしょうか。
実際、その日泣いていた子も、数か月後には笑顔でプールに入るようになります。
最初から強かったわけではありません。安心できる場所があったからこそ、少しずつ挑戦できるようになったのだと思うのです。また、僕はスイミングスクールで働いていた頃、プールの中だけでなく観覧席を見るのも好きでした。もちろん指導が仕事なので、じっと見ているわけにはいきません。それでも時々、保護者の方の様子が目に入ります。
すると面白いことに気づきました。両親そろって、目を輝かせて子どもの様子を見ている家庭があるのです。
今日は顔をつけられた。
今日は潜れた。
今日は泣かなかった。
そんな小さな成長を、本当に嬉しそうに見ている。
僕はそういう光景がとても好きでした。
統計を取ったわけではありませんが、僕の経験ではそういう家庭の子どもほど元気な印象がありました。
そして、そういう子どもほどよく話します。
今日幼稚園でこんなことがあった。
お昼は鮭のおにぎりをたべた。
こちらが聞いていないのに、自分から話し始めるのです。
僕はその理由をずっと不思議に思っていました。
しかし最近になって、もしかすると
「自分の話を聞いてもらえる」
という経験を積み重ねてきたからではないかと思うようになりました。
話せば聞いてもらえる。助けを求めれば応えてもらえる。頑張ったことを話せば喜んでもらえる。
そうした経験の積み重ねが、
「自分の行動には意味がある」
という感覚につながっているのかもしれません。
僕は教育において、「挑戦する力」はとても大切だと思っています。
しかし最近は、その前にもっと大切なものがあるのではないかと考えるようになりました。
それが安心感です。安心できるから挑戦できる。困ったら助けてもらえると思えるから一歩踏み出せる。
では、その安心感はどこから生まれるのでしょうか。
僕はその原点が、赤ちゃんの「泣く」という行為にあるのではないかと思っています。
赤ちゃんは驚くほど無力です。
お腹が空いても自分でミルクを飲めません。
暑くてもエアコンをつけられません。
おむつを替えることもできません。
しかし、一つだけできます。泣くことです。
赤ちゃんは泣きます。
すると、
ミルクがもらえる。
抱っこしてもらえる。
おむつを替えてもらえる。
つまり、
行動する。
応えてもらえる。
状況が良くなる。
という経験を繰り返しています。もちろん赤ちゃんはそんなことを論理的に考えているわけではありません。
しかし僕は、
「自分の行動には意味がある」
という感覚を学んでいるのではないかと思うのです。
成功体験が大事という話は教育学でもよく出てきます。
勉強でも、スポーツでも、小さな成功体験の積み重ねが自己肯定感や自己効力感につながると言われています。人間にとって最初の成功体験は何なのでしょうか。それが赤ちゃんの「泣く」なのではないかと思っています。
もちろん赤ちゃんは「成功した」とは思っていないでしょう。しかし、自分の行動によって世界が変わる経験を繰り返しています。
逆に発達心理学の研究では、養育者との関わりが極端に少ない環境で育った子どもが、次第に泣かなくなることが報告されています。一見すると手のかからない子に見えるかもしれません。しかし、その話を知った時に少し違うことを考えました。
それは忍耐強くなったのではなく、
「助けを求めても意味がない」
と学習した結果なのではないかということです。
泣いても誰も来ない。求めても応えてもらえない。それが続けば、やがて泣かなくなるのは当然です。
しかしそれは自立ではありません。
むしろ逆。自分の行動によって世界は変わらない。努力しても意味がない。そう学習してしまうことの方が、僕は怖いと思うのです。
だから僕は、幼児期に最も大切なのは能力開発ではなく、
「自分は愛されている」
「困ったら助けてもらえる」
「自分の行動には意味がある」
という感覚なのではないかと思っています。
僕は子どもの教育において、過保護は思われているほど悪いものではないと思っています。
むしろ幼児期に限れば、過保護なくらいがちょうどいい。
不安な時に抱っこする。
助けを求めた時に応える。
話を聞いてほしい時に聞く。
そうしたことが将来の自立を妨げるとはあまり思えないのです。
問題は過干渉です。
過保護と過干渉は似ているようで全く違います。
過保護は、助けを求められた時に助けること。
過干渉は、助けを求められていないのに介入することです。
だから幼児期に限れば、「甘やかしすぎたかな」を心配する必要はあまりないように思うのです。
ここまで子どももいないくせに偉そうに語っています。自分の想像もつかないレベルで大変だと思います。
昔は祖父母がいました。近所のおじさん、おばさんがいました。兄弟も多くいました。
しかし今は、核家族化が進み、共働きも当たり前になりました。
昔は家族や地域で分担していたものを、今は親だけで背負っている部分があります。
僕はFPの勉強をする中で、育児休業や児童手当について学ぶ機会がありました。
育児休業は原則1歳までですが、条件を満たせば最長2歳まで延長できます。また、育休が終わった後も、3歳までの時短勤務や小学校入学前までの残業免除など、意外と子育てを支える制度は多く存在します。僕は、こうした制度の本質はお金ではなく時間だと思っています。
幼児教育が人生で最も重要な時期なのであれば、幼児期に親子で過ごした時間の価値は想像以上に大きいのかもしれません。
もちろん収入も大切です。しかし、月に数万円多く稼ぐことと、子どもと過ごす時間を増やすことを比べた時、後者の方が将来大きなリターンを生むこともあるのではないでしょうか。少なくとも僕は、幼児期において最も費用対効果の高い教育投資は、高価な教材や幼児教室ではなく、親や周囲の大人と過ごす時間なのではないかと思っています。
幼児教育について学べば学ぶほど、僕は特別な教育法よりもシンプルな結論にたどり着きます。
幼児に必要なのは完璧な親ではありません。
自分は愛されている。困ったら助けてもらえる。自分の行動には意味がある。
そう感じられる環境です。その土台の上に、小学生の体験があり、中学生の教養があり、高校生の自己理解があるのだと思います。
お金と教育の相談室シード 代表 加藤祐太


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